子どもが小学生の時に、通知表は見たことがなかった。
始業式の前日夜に急いで印鑑を押して、書くだけ。
先生への感謝だけ伝わればいいや、としか思ってなかった。
内容は先生の主観だし。嘘まみれのお友達の話を聞き入れてしまっている状況の時は散々な書かれようだったし、それが嘘だったと気づいてからはまた180度違う言葉が並んでいたり。
そんな誰かの主観に振り回されるような人生にするつもりはなかったから。
これができてません、と言われても、そうですか、としか。
一回、社会のテストの解答がお友達から回ってきて、受け取っただけのうちの子が怒られたことがあったんだよね。その時点で信用は無くなった。自分が誰かから何かを受け取って、校長から来月減給ですって言われたらどう思うんだろう?って内心思いながら、もう無反応を貫いて。そして、その解答を拡散した子は今でも嘘を言いふらして、皆の人生を滅茶苦茶にしていってる。
意味不明に怒られたことで、その後社会の成績が戻らなくなって、直後の模試の結果が最悪になったのは言うまでも無い。答えに「安倍晋三」さえ書けなくなってしまった。その責任をその教師はとらないからさ。子供の人生がそこで変わったなんて考えてもいないんだろう。
そんな人が書いた通知表を信じて動く方がおかしいと思うし。
そんな通知表を人生の基準にする社会はおかしいと思う。
良いことは信じたらいいけど、悪い評価は切り捨てでいいんじゃないかな。主観でしかないし。